生き方(老後の人生)

なぜ 離婚したのかって事を 元夫は 話し合いの機会を作りませんでしたので

何か 心に引っかかったままです

宗教を神向(しんこう)して 28年たちます

キリスト教や仏教を 変人の集まりや 詐欺集団扱いしないと思いますが

神を信じるなどと言う話は うさんくさい 弱者が選ぶ 偽善 だまされる

そんなたぐいの話と思われがちです

私は こういった分野に関わらないように生きてきました

しかし 自分の力ではどうにもならないこともあるわけで

そう言った時に 眼に見えない大きな存在に 助けを求めることも あるわけです

まあ 神を信じて 生きている訳です

教えの内容は 多分どの宗教をとっても すばらしいものが あると思います

この教えに沿って 生きていれば 絶対幸せになれる

そういった 経験が たくさんあり そういう経験を持った人が

たくさ存在しているから ずっと 続けていこうと 思っている訳です

この後 年を取り 仕事もできなくなっても 神向は 続けたいのです

しかし 元夫は この教えが 身についていないのです

その人なりには やってるって 思っているのかもしれませんが

態度や言葉遣い 人に対する気遣いに エゴが見えるのです

他人なら 構いませんよ その人なりの 進み方 やり方で

でも いっしょに歩むって感じの 夫婦では この気持ちの差は 埋まりません

私は できるかぎり 理想に近づきたい 欲張り派

元夫は できるときに できる範囲でやる 安全派

私は 適当にやるってことが 許されるとは 思えないのです

何故かって 年を取るってことは 死に近づいているってことで

必ず 明日があるってことではないからです

もし 明日 この命が亡くなったら と考えて生きている私の緊迫感と

明日でいいことは 明日にやるという 生き方は

いっしょに 歩くことが困難であると 判断したのです

私は 走れるうちに 走りたいのです 全力で たとえ 短い距離でも

これまでは 一応妻の立場でしたから 夫の意見を聞いたのち

行動に移していましたが そのおかげで 良くなった 楽しかったことは

本当にないです(まあ 波風は立ちませんけど)

おかげで あの時やっとけばとか もっと早く手をつけられたのにと言う

いらいら感は 残りますね

自分の人生を 自分で決めて生きたいと思ったわけです

夫に寄り添って 二人仲良くした先にあるのが 自分の望んだ人生と違っても

それはそれで よかった そう気持ちより

まだ できる事があるうちに 後悔のない人生にしたいと思ったんです

これが 離婚の理由です 話せなかったけど

投稿者: nukotako

群馬在住。お絵描きと刀ミュ好き。猫1匹同居。孫二人。

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